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慣習、その本質は何処に

今日も元気に。YFです。

最近、学校の4階から時折見える富士山や
夜空の星を立ち止まって眺めつつ、帰る

そんなことが日課となっております。

冬になると遠くの景色や夜空がキレイに見えるのは当たり前のことですが、

案外そのことに気づかないことがほとんどだと思います。

私は寒い上に殺風景な冬が嫌いです。

でも、冬の匂いは好きだったりする。


さて、
2011年も残すところあとわずかとなり、クリスマスも近づいてまいりました。

そこで、クリスマスにちなんだ
社会における慣習や風習といったような事柄に焦点をあててみようと思います。


クリスマスとは、
イエスの誕生を祝うための記念日。

そう私は解釈しております。

ちなみに私はクリスチャンでもなく、そして基本的に宗教は嫌いです。

宗教に属する方を否定しているのではく、

善い悪いではなく、

あくまで自分に素直かつ自由でありたいと思っているからです。

自由という言葉の解釈は様々ですが、

私の考える自由はどちらかといえばなんでもかんでもしていい自由に近いかもしれません。
傍から見たら自分勝手そのものでしょうけどねw

宗教と価値観の話を始めると先が見えなくなるので。クリスマスのことに戻りましょう。

クリスマスは世界共通の記念日であり、様々な国で祝われています。

しかしながら、日本を例に出して言えば

イエスが誕生したことを祝う、

といった意味におけるクリスマスかどうか、少々疑問が残る。

この他にも、
先日私の通っている学校でのクリスマス音楽会でのこと。

最後にハレルヤ・コーラスの合唱が始まると、

先生や父母が起立し、促されるような形で生徒・学生が立ち上がる。

こんな光景を見る機会がありました。

私はこの光景に違和感を感じ、立ちませんでした。
かといって、ハレルヤ・コーラスの時に立って聴く慣習があることは当然知っています。

ここで重要になるのは、
ハレルヤ・コーラスを立って聴く慣習を生んだきっかけとなった英国のジョージ2世は

当時の演奏に感動して起立した。
(英国において神を讃える賛歌の演奏のときは起立して聴く慣習がもともとあった、との一説も)

という点です。

すなわち、
ハレルヤ・コーラスが演奏されたとき起立することは、

その演奏に感動したことを表す一つの行動様式であるはずなのです。

それが今ではハレルヤ・コーラスが始まったら起立するといったように、

形式的な慣習に成り下がっているように思われます。

しかしまぁ、

慣習の一つ一つに裏づけとなるエピソードや明確な意味があるのかどうか自体わかりませけどね...w

少なくとも、

このようにしっかりとした意味のある慣習に対して、

演奏を聴いても特に何も感じなかった私が形式的に起立するということを不自然だと感じた。

ただそれだけです。

同じくクリスマスにおいても同様のことが言えます。

クリスチャンではない私にとって

イエスが生まれた日も誰かの誕生日と同じようなものです。

つまり、特別浮き足立って祝う理由がないということです。

クリスマスだからどっか行こうとか。

クリスマスだから七面鳥を食べようだとか。

ツリーがどうとかイルミネーションがどうとか。

正直言ってどうでもいいです。

イエスの誕生を祝うなら、同じ日に生まれし友人の誕生を盛大に祝うことにしよう。



おまけ

先日りんごジュースが飲みたいと家で連呼していたら。

ある日帰ると箱詰めされた何かが置いてありました。

DSCF5397_convert_20111220235941.jpg
こんなにいらないですw


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